奥塩原の新湯温泉にある墓地というか石仏群というか。一般的な旅行者や湯治客は絶対に足を踏み入れない場所だが、我々変態にとってはワンダーランドだった。
高い湿度と漂う硫化水素ガスの影響なのか、すべての石材が独特の碧さを纏っている。
小さな地蔵像は、旅立つ幼き魂に静寂と安穏を願ったであろう古の湯守の存在を感じる。
この地を調べてみたら、かつて存在した円谷寺の墓地とのことだ。「えんやじ」なのか「つぶらやじ」なのか。
追記 調べてみたらこのページ(https://tabi-mag.jp/tg0110/)に以下の記述を発見。
新湯地区は天和3年(1683年)の日光大地震(グニチュード6.8の大地震、葛老山が崩壊するなど大きな被害が発生)で元湯が壊滅的な打撃を受けた際に移住して開かれた温泉場。
大沢山円通寺の末寺の円谷寺も宇都宮藩主・本多忠平(ほんだただひら)の許しで新湯に移っていますが、移転先が現在の寺の湯の場所。
茅葺きの本堂の向かいには、寺の専用浴場がありましたがこれが寺の湯のルーツ。
円谷寺は明治初年の神仏分離令、廃仏毀釈で廃寺となり、本尊の阿弥陀如来は君島屋(現「渓雲閣」)に安置されています。
今回はゼンザブロニカS2とFUJIFILM ACROS100Ⅱでも数枚撮っているけど、現像はいつになるやら。
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